70億画素で世界中の美術作品を分析! Googleストリートビューは、次なるステップへ

インターネットを通じて高解像度の美術作品画像を楽しめたり、美術館内をストリートビューで観ることができる「Googleアートプロジェクト」が、日本でもサーヴィスを開始した。肉眼では捉えることができない細やかな筆のタッチまでが楽しめるという、70億画素という超高解像度画像は、いったいどんな機材で撮影されているのだろうか。そして、今回このプロジェクトに参加した島根県足立美術館には、どんな思惑があったのか。関係者たちに話を聞いた。

朝06:50発の便に乗って、羽田から米子空港まで1時間半。お隣りの出雲空港からのルートもあるそうだが、米子からのほうが距離的には近い。空港からは570円払ってバスに乗り、JR米子駅まで約25分。そこから観光客を乗せる無料シャトルバスに乗り換えるのだけれど、1時間に1本だから、待つ間の40分ほどで朝食をいただき、「ゲゲゲの女房」で観光客が増えたなんて話を運転手さんに聞きながら、さらに30分ほど走る。米子空港は鬼太郎空港というくらい、水木しげる先生の街なのだ。で、ようやくたどり着いたのが、「足立美術館」!

Googleアートプロジェクト」の話はご存じだろうか? 欧米でのサーヴィス開始が2011年2月からだから、知っている人も多いはず。ネットを通じて世界の美術作品と美術館をデータ化して閲覧可能にしようというプロジェクトで、古今東西の文章のデジタルアーカイヴ化を目指す「Googleブックス図書館プロジェクト」など並び、Googleの文化的プロジェクトのひとつだ。すでにパリのオルセー美術館やNYのメトロポリタン美術館など、世界151の美術館が3万点以上の作品を公開してる。作品のいくつかは70億画素という超高解像度で撮影され、50館ほどの美術館をストリートビューで館内散策できる。そして足立美術館は、今回「Googleアートプロジェクト」に初めて参加した日本の美術館6館のうちひとつなのである。

その足立美術館に海外からGoogleのスタッフが来日し、館内のストリートビュー撮影を行うという。取材許可も出た。GoogleをはじめIT企業は、総じて一般企業に比べて情報のコントロールに繊細で、取材のハードルは高い。なかなかある機会ではないので、カメラマンとふたりで取材に飛んだわけである。もちろん日帰りである。

Googleアートプロジェクト」にはほかに、国立西洋美術館サントリー美術館東京国立博物館ブリヂストン美術館といった大御所が顔を並べている。そのなかにあって足立美術館は、安来節で知られる島根県安来市にあり、岡山県倉敷市大原美術館とともにプロジェクトに参加する地方の美術館のひとつ。地元の企業家、足立全康の個人コレクションを基に創設されていて、横山大観のコレクションと日本庭園の素晴らしさで知られている。なんでも、『The Journal of Japanese Gardening』というアメリカの日本庭園専門誌のランキングで、9年連続日本一に認定されているとか。知る人ぞ知る美術館である。

「話があったのは2011年の夏ごろ。最初は著作権の問題を心配したんですが、現代日本画家の作家さんで、作品をネット上に公開することに否定的な方はいませんでしたね。まずは世界の人々に作品を知ってもらうこと。それが大切だということは、皆さん、共通の認識としてありましたから」

最初に話を聞いたのは足立美術館館長、創設者の孫である足立隆則だ。足立美術館では、年間来館者が2010年で59万人(11年は福島第一原発の事故の影響でちょっと減ったとか)、海外からは約8000人ほどという。敷地は「さぎの湯温泉」に隣接し、ついでに温泉に入ってどじょう料理なんかをいただくこともできるので、観光バスが停まる観光スポットにもなっている。

とはいえ、05年に日本の総人口が減少に転じて以来、地方の美術館にとって、海外からの来館者をいかに増やすかは大きな課題なのだろう。「大観と日本庭園」がウリの足立美術館でも、06年と08年の2回、わざわざ庭師を連れて米国にプロモーション行脚に出かけたとか。それでも、なかなか海外からの客足は伸びない。そんな地方の美術館にとって、「Googleアートプロジェクト」への参加要請は、願ったり叶ったりであったという。

「ほかにどんな美術館が参加されるのかは、ずっと知らされませんでした。ただ、作品だけでなくストリートビューで美術館そのものを体験できると知って、わたし自身はすぐに参加を決意しました。ヴァーチャルを体験したら次は必ず本物を観たくなる。そう信じています。米子空港はチャーター便の離発着もできますので、ビジネスジェットをおもちのお客様にもどんどんいらしてほしい」

そう言って館長は顔をほころばせる。Googleに最初に選ばれた日本の美術館のひとつであることは、地方の美術館にとって大きなチャンスに違いない。実際、取材の話があるまで、足立美術館大原美術館の存在を知らなかった。不勉強で恐縮である。ただ、日本から今回「Googleアートプロジェクト」に採用された美術館は、どうやらGoogleが厳選した結果というだけではなさそうなのである。

足立館長の次に話を聞いたのは、ライアン・フェラー。普段はシリコンヴァレー・マウンテンヴューのGoogle本社にいて、「Googleアートプロジェクト」の技術面を総括する技術者だ。かつてはNASAで火星探索機の開発にもかかわったらしい。そんなフェラーによれば、実はGoogleの候補リストにはもっとたくさんの美術館の名が挙がっていて、実際に声もかけていたそうだ。そのなかで今回のキューレションとなったのは、この6美術館が最初に参加を表明してくれたから。要は早い者勝ちだったというのが本当のところらしい。

しかも、多くの裁量が美術館側に委ねられている。ネット上では公開できない作品やコーナー、部屋があっても許されているし、どの作品を70億画素の超高解像度で公開するかも、美術館側の判断だ。その代わり、公開に際する作家との一切の交渉や著作権のコントロールは、美術館に任されている。Googleは、あくまでもプラットフォームを提供するだけというスタンスだ。

「それまで屋内版のストリートビューがなかったので、専用の撮影用トローリーを開発することから始めました。特に、屋内ではGPSが使えないので、美術館内部を3次元データで正確にトレースする必要があります。その3Dデータと水平垂直を探知するレーザーセンサー、さらに加速度計、ジャイロスコープを駆使し、さらにタイヤの動きなどを新しく開発したソフトで算出しながら、館内の正確な位置を割り出し、15台のカメラを使って撮影していきます。屋外のストリートビューはクルマに載せてシャッターも自動ですが、この屋内用は人がゆっくりと手で押しながら、撮影ポイントごとに停止しては、1度に5回シャッターを切りながら進みます」

作品はもちろん、美術館の建築空間のディテールにいたるまで再現することが「Googleアートプロジェクト」の目的である。撮影のプロセスは、屋外よりもずっと手間がかかる。しかもすべてHDR(ハイダイナミックレンジ)撮影。展示スペースはそれほど広くはない足立美術館でも、撮影には丸1日、時間にして8時間かかったという。

さらに、70億画素の超高解像度で撮る作品にも1カットでかなりの時間がかかるという。じつはひとつの作品を数千カットにも分けて撮影し、後でつなぎ合わせるという気の遠くなるような作業によって、70億画素の写真は実現しているのだ。ちょっとした振動で、ピントが少しでも狂えば撮り直し。これまでの最長で8時間。これまた1日がかりである。日本の美術館でこの超々ハイレゾ写真を撮ってもらったのは、東京国立博物館所蔵の可能秀頼筆、国宝「観楓図屏風」と、足立美術館横山大観「紅葉」のまだ2作品だけ。なにしろ肉眼より細密だから、70億画素で世界中の美術作品を分析できることは、研究者や専門家にとっても朗報のはずだ。

ちなみにGoogleMapでおなじみの屋外ストリートビューのカメラも、あまり知られていないが、日々進化しているのだという。以前は魚眼レンズのカメラ数台で撮っていた画像が、いまはアートプロジェクト用のトローリーと同じ15台のカメラを使用し、解像度も格段に上がっているとか。そうやって最新のカメラで撮られた画像によってGoogleMapのデータは徐々に更新されており、日本だと東日本大震災の被災地や仙台市内のストリートビューは、この最新カメラで撮った画像にすでに差し替えられているそうだ。

「たぶん始まりは2010年の初頭ぐらい。Googleには“20%プロジェクト”というのがあって、勤務時間の20%を使って新しいアイデアにチャレンジしてもいいという規定があります。アートプロジェクトもそこから始まり、いまでは国際的なビックブロジェクトに育ちました。一応、パリにある『Google Cultural Institute』(死海文書やホロコーストネルソン・マンデラの資料等々、文化財・歴史的資料のデジタルアーカイヴ化を担当)とマウンテンヴューの本社に専属のスタッフがいますが、世界中でたくさんのスタッフが“20%プロジェクト”の時間を使ってかかわっています」

Googleのプロジェクトの進め方は、縦割りでヒエラルキー構造に支えられた従来の企業とはかなり趣を異にしている。そのイメージはもっとフラットで流動的、かつパラレル。しかも、売上や利益という評価指標をもたない。とても採算がとれているとは思えない。不思議なのは、こんなに手間と時間と予算をかけてGoogleにはどんなメリットがあるのかという疑問。それに、このプロジェクトにはいったい、いくらかかっているのか? 気になるところだが、Googleがそういった具体的な数字を出したがらないのは有名な話。案の定、フェラーにも笑ってはぐらかされる。

「“予算”とか“売上”とか“投資対効果”といった思考で、Googleが製品を開発したりプロジェクトを進めることはありません。評価は、強いて言えばページヴューということになるでしょう。いずれにしろ、インターネットのユーザーが喜び、驚き、メリットを感じることができれば、それはGoogleにとってもいいことなのです。アートプロジェクトでは、さらに美術館に実際に足を運ぶ人が増え、参加してくれた美術館の方々がよかったと思ってくれればそれでいい。それがわれわれにとってのベネフィットなんです」

今後「Googleアートプロジェクト」で閲覧可能な美術作品とストリートビューで館内を歩ける美術館の数は、どんどん増えていくだろう。興味と好奇心さえあれば、古今東西の美術に関する膨大なアーカイヴに、コストをかけずに誰もがアクセスできるようになる。そんな環境で育った才能が生み出すアートとは、いったいどんな表現になるのだろう? ポストGoogleアートプロジェクト作家出現の予感は、ぼくたちをちょっとワクワクさせる。ただひとつ心残りは、カメラマンが早く帰りたいというので、島根まで行ったのに温泉にも入れなかったことである。